
私の家は遺伝的要因による下顎突出症を伴う不正咬合という家族歴があり
これを防ぐために私が幼い時から両親が大学病院の歯科を連れて行きながら教授たちにあれこれ調べていましたが
返ってきた返事は遺伝的なことを防ぐことはできない あごにバンドを巻いてあごの成長を防ぐこともあるそうですが、会う教授たちは皆無駄だと言っていました。
最近、手術技術が発展したので、子供が大きくなったら手術をさせろという返事をもらいました。
案の定、二次性徴が始まって顎が発達し、噛み合わせがずれるようになりました。
最初はただ生きようと、ある程度出た顎も男らしく、悪くなかったです。
噛むのが少し不便なだけだったが生活しながら発音が漏れる問題と著作機能問題にともなう消化系統障害を体験したのが大変だったが大したことではないと思いました。
そのように成人になり、私と似た友人が大きな副作用なしに両顎手術で機能改善はもちろん、美容的にも大きな変化を遂げたのを見て手術を決心しました。
この友達がいなかったら私は一生不便なことも知らずに生きていたでしょう。
ソウルにある歯科をいろいろ訪ねて相談をしてその中で大きく心が惹かれたところがあって矯正治療もここでできるし
手術中に保護者に防犯カメラを見せる点など、相談中に院長の自信を感じることができ、私に確信を与えてくれた病院がワイ口腔でした。
私の歯の状態があまりにも悪くて先手術は難しくて矯正治療からしなければならないと言って、
訪問日すぐ矯正治療を始めて約10ヶ月ぐらい手術前に矯正治療をしました。
手術の日_両顎手術、輪郭2点(エラ顎、前顎)実施
手術が確定して3週間程度の間、病院を2回来院してウェイパーを合わせ、あれこれ検査しました。
前日12時に断食を始め、病院から送ってもらった案内文を見ながら準備物を準備し、気を引き締めました。
9時30分に入院して荷物を整理した後に院長と相談しながら手術計画を説明してもらって10時頃手術室に入りました。
麻酔をしてからは記憶がなく、手術が終わって看護師の方々が起こす音に気がついたら、口にホースが入っていて全身が生きてきて経験したことないほどの苦痛を経験しました。
携帯電話を見る力もなく、横になって息だけ大きくして一日を過ごしました。
19時になると保護者は家に帰るのですが、看護師の方が介護者のように1から10まで全部面倒を見てくれた点が本当に印象深かったし、感謝しました。
看護師の方々のおかげでよく堪えることができました。
二日目
二日目に起きたら少し生き甲斐がありました。 顔のホースも取って、たくさん歩き回れと言われたのですが、そんな力がありません。
食事は病院でニューケアを提供してくれるのですが、食べるのも大変で食欲がありませんでした。 それでも生きるために食べたようです。
ずっと横になっていると腰が痛くて少し病院を歩き回ってベッドに戻ると力がなくて携帯電話も見られずただぼーっとしながら平凡な日常の大切さを悟りながら一日を過ごしました。
三日目
点滴を取り、院長に説明を聞いて退院しました。
顔の腫れは最大値で、家に帰っては加湿器を設置して部屋を入院室のようにし、一日中また寝ました。
生きていてこんなに無気力なことがあったのかと思うほど、とても辛い日々でした。

術後二週間目
顔のあざが最高潮でした。 抜糸のために病院に行ったのですが、とても気分が良かったです。
抜糸する時はすごく痛かったし、特に異常なく傷がよく治ったのがとてもありがたかったです。
ウェイパーを拭いてたら折れてて院長に言ったらこれ以上しなくてもよさそうだと、ウェイパーも中断し、
唇に力が出てよだれも垂らさなくなり、生活がはるかに良くなりました。
術後一か月目
顔のあざがほとんどなくなり、感覚がなかった右下あごの部分も感覚が戻るのが徐々に感じられました。
止まっていた矯正治療と1ヵ月経過確認を控えており、著作が許されて柔らかい食べ物を中心に噛む練習と発音練習の口を開ける練習をしています。
両顎手術は入院期間(3日)さえ耐えれば耐えられ、力と症状の好転は日が過ぎる事にだんだん良くなります。
大変な時は院長がおっしゃってくださった言葉を思い出しながら堪えました。
明日が今日より良くなり、明後日が明日より良くなると、両顎手術を控えている方々は、しっかり覚悟して乗り越えてください。



手術3か月後
この頃からすべての食べ物を選り分けずに食べることができたようです。 骨が80%くらい付いているので、気をつけて食べろと言われて、
気をつけて食べても食べたほうがいいので満足度がとても高かったです。
右下顎のしびれはだいぶなくなったのですが、感覚はまだないので心配です。
しかし、今満足度もとても良くて3ヶ月しか経っていないので、手術後1年まで感覚は戻るというので待ってみようと思います。